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今月の
お知らせ

&
りんごう村


旧梨郷村


 1ヶ月間のお知らせ・特集など
■1月の日程等
   
先月に引き続き、日曜日は随時営業しています。午後2時迄の予約ですが、本来休日ですので予約が完了次第、営業を終了させていただきます。月曜日・木曜日は予約して頂ければ、20時頃まで診療可能です。土曜日・日曜日を入れますと、週3・4日になりますので、治療間隔をあけられない椎間板ヘルニアの、初期治療等にも充分対応出来ます。忙しい方、でも治したい方はご利用ください。

■この時期の健康管理(?)
  
この冬も、ノロ・ウイルスが猛威をふるっているようです。私事で恐縮ですが、10年程前の正月休み以降、コレに散々苦しめられました。一週間以上毎日下痢が続き、食事をするとたちまち水様性の下痢便が出ていました。そして又、しばらくすると便意をもようしてはトイレに駆け込み、水みたいな便が出て・・・という連続でした。とにかく、食事即下痢。これでは仕事が出来ません。体重がどんどん減って行き、顔もムンクの絵の人物のごとく、頬がこけゲッソリでした。食事が取れないので、しかたなく栄養は点滴に頼っていました。当初、近所の病院で診て貰ったのですが、ウイルスが出て行くまで下痢をムリに止めてはイケない・・・という訳で融通が利かず、駒込病院に飛び込みました。「このままでは仕事にならない、体力も落ちてどうしようもない」と、申しましたところ、さすがは駒込病院、東大卒のお医者さんです。下痢をピタッと、止めてくれました。その後、下痢を止めたせいでの体調不良なんて全くありませんでした。

■社会との係わりによる、心と体の健康

  
私達人間は、一人では生きて行けません。原始時代の昔から、社会生活をすることによって守られ、心と体の健康を保ってきたと思います。私達は農家の人の作る野菜や穀物などを食べています。メーカーの作る洋服を着て、寒さからあるいはケガから体を守っています。乗り物のおかげで、遠くまで行けます・・・。つまり、社会から多くの恩恵を受けています。そしてその代わりに、社会のために働いています。仕事を通じ働くことによって、何かしら社会に貢献しています。ボランティアもそうでしょう。そして、そのことに生き甲斐を感じ、喜びを感じます。群れの仲間としての連帯感です。つまりそれは、安心感と共に心と体の健康をももたらします。そして仲間の健康にも貢献しているのです。心と体の健康です。社会に対する貢献度もいろいろあると思います。政治家のように、多くの人の運命を左右するような重大仕事もあるでしょう。又、それ程でもない仕事もあるでしょう。ただし、自分の出来る範囲内で精一杯やることに意義があるのではないでしょうか・・・。私達は得意な分野、不得意な分野、能力の差もあるかもしれません。しかし、各々技術を磨いているうちに、だんだん社会に対する貢献度は高まってくるかも知れません。仕事というのは、毎日します。そのコツコツ積み重ねたものが、気が付けば、非凡なモノを生み出すかもしれません。そうなると、達成感もあるでしょう。物事を持続することの大切さです。

  しかし、一方では別の場合もあります。以前、司法試験を受け続け、40歳代半ばになってしまった人の話を聞いたことがあります。親がかりで仕事は何もしていなかったのです。自分にはコレしかないという気持ちで、諦めきれなかったのでしょう。実際、34歳で司法試験に合格した人も、私は知っています。しかし、40代半ばだったその人は、その後どうなったかは分かりません。ちなみに、最近聞いた話では、現在司法試験は三回しか受験出来ないんだとか。しかも、大金を投じて法化大学院を出なければならない・・・。仕事というのは、実際やってみないと解らない面もあります。司法試験に受かって弁護士さんになっても、予想に反して、コレは自分には向いてないナと思う人もいるかも知れません。とりあえず就職した仕事が面白くなって、天職になった人もいるかも知れません。時々立ち止まって考え見直し、行動してみるのも大切な事ではないでしょうか・・・?それを挫折と捉えるかどうかは、ご本人の考え方次第だと思います。そして良い結果を残せば、もはやそれは挫折ではなくなります。けだし名言、禍(わざわい)転じて福となす。就職氷河期や派遣人事のせいもあって、現在鬱(うつ)病の人が増えています。物事を後ろ向きに捉えてばかりいると、キリがありません。心が体が破綻してしまいます。どうか、マイナス思考の悪循環から抜け出して欲しいと思います。手前ミソになってしまいますが、本院の自律神経に対するアプローチを受けてみませんか?思いっきり熟睡し、体の健康が心の健康を導き出します。そのことによって、心がプラス思考へとシフトして行きます。「笑う門には福来る」と申します。自然といい顔の表情になって、受ける印象も全然違ってくるのではないでしょうか・・・。

  数年前、あるコンビニで週4・5日ぐらいのペースで、深夜勤務のアルバイトをしている青年がいました。30歳代半ばでした。勤務態度も真面目で、ウッチャン・ナンチャンのウッチャン・タイプのアタマの良さそうな好青年でした。店長も頼りにしていたと思います。30代後半の人には、けっこうデキそうな人でも、こういう職業面で不運な人がいます。ある時期長いこと、側の国道で道路工事をやっていました。そして60過ぎのオジサンが、夜食など買いに毎日来ていました。工事現場の交通整理をやっている警備員の人でした。来る度に、しばらくアルバイトのその青年と話し込んで帰るのです。話しているのは、もっぱらオジさんの方でした。青年はうなずいて、話を聞いているだけでした。その時間帯のコンビニは、比較的ヒマなせいもあって、手を休めて立ったまま聞いていました。どうもそのオジさんは、ハナシを聞いて貰いたくて来ていたようです。オジサンの息子ぐらいの、まだ人生経験も浅い(?)若造相手にです。立場が逆ならば別ですが、普通ならばあり得ません。そしてひとしきり話すと、満足した様子で、買った弁当などを手にして帰って行くのです。私は感心しました。その青年の人徳にです。そして、お節介ながら、「人の話を聞くような仕事についた方がいいですヨ。」と進言しました。人のハナシに横槍も入れず、黙って相手のハナシを聞いて上げるなど、なかなか出来る事ではありません。ややもすると、つい相手の言葉をさえぎり、持論を展開してしまいがちです。「臨床心理士でも、易者でも、何らかの相談員でも・・・」と、ついつい進言してしまいました。

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 ふるさと、梨郷(りんごう)村 No.27 (佐藤 一)
★旧舟着場のモミジの木は、三回引っ越した
  
私が旧舟着場に住んでいて物心ついた時、屋敷の傍らにかなり大きな紅葉(モミジ)の木がありました。そのモミジの木は、秋の紅葉(コウヨウ)の時期と関係なく、春から秋まで、いつも鮮やかなエンジ色の葉で覆われていました。そして、若枝もエンジ色でした。その深紅(しんく)のモミジは、山形ではよく見かける園芸用のものでした。紅葉(モミジ)の語源も、ひょっとしたらコレかも知れません。そして私達は、紅葉(モミジ)と紅葉(コウヨウ)という言葉を混同しているようです。以前、神田に「紅葉屋」という印刷会社がありましたが、それを「もみじや」と読めない人もいました。その深紅のモミジは、庭木ではよく見かけしたが、山に自生している物は殆んど緑色だったと思います。他に山形では庭木に、エンジ色の葉と実を付ける、スモモの木をよく見かけました。そして、若枝もやはりエンジ色でした。熟したアンズ(杏)のように、秋だけ赤いのではなく、未熟な時からエンジ色で、実の中身も赤いのです。「赤ズモモ」と、言っていました。土壌が合わないのか、東京では全く見かけたことはありません。近くに店などない農村の屋敷には、子供のおやつ用に(?)、スモモ・アンズの他、柿・ナツメ・グミ・栗などいろいろな木を植えていました。ですから、田舎の子供は皆、木登りが上手でした。

 
 旧舟着場のモミジの木は、昔ちょうちん屋だったという家の前にありました。ちなみに、元ちょうちん屋は父方祖母の実家で、私が九歳まで父母や妹と一緒に住んでいました。家の前は商店らしく多少広場になっていて、その隅に燃えるような深紅のモミジの木が立っていました。そしてその先は崖下になっていました。そのモミジの木は幹の太さが20センチ以上ありました。50年経ってもその太さが殆んど変わらなかったので、モミジの木は成長が遅いのでしょうか・・・。そうだとすると、その園芸用のモミジの木は、随分昔に植えられたものでしょう。従ってちょうちん屋自体も、何百年も前からあったのかも知れません。その元ちょうちん屋の家は間口の広い大きな二階建ての家でした。4・5間ぐらいの間口全体に広い土間があって、ここが店先だったことがよく分かりました。私達が住んでいた時は店先の引き戸は全部締め切り、横の狭い通用口から出入りしていました。元々農家でなかったせいか、納屋などありませんでした。それで土間の一番奥を仕切って囲いを作り、ヤギを飼っていました。そして夜だけ犬をつないだり、いろいろに使っていました。父が餅をつく時も、ここにムシロを敷いてやっていました。土間から上がると、作業場兼店舗というカンジで、1階部分約半分の面積を占めていました。そして私の家に来た人が、このモミジの木に馬や牛をつないだりしていました。ですから長い間、多くの来客達もこのモミジの木を見上げて来たに違いありません。いつもマッカでよく目立ち、訪れる人が皆、その立派さに感心していました。私が小さい頃、父が枝にブランコをぶら下げてくれたのを、覚えています。

  
私が小学四年生の時、旧舟着場の家が建設省の用地買収に合い、山麓の大伯母(父方祖母の姉)の家隣りに、引越しました。そして、モミジの木も引っ越し、玄関前のトイレ横に南天の木と共に移植されました。父は自分の母の実家と共に、このモミジの木に愛着があったのでしょう。しかし、移植のために多くの枝が切り落とされ、様子がまるっきり変わってしまいました。移植のためには仕方がなかったのでしょう。それに危機感を感じたのか、その後やたらと種を付けるようになりました。それと同時に、不思議な事に葉っぱの深紅が色あせてきて、しだいに緑がかってきました。枝を切られ過ぎて、木の勢いがなくなったようでしょうか。それとも先に述べたように、土壌のせいでしょうか・・・。その存在感もすっかり薄れて来て、父も母もがっかりしました。そして、訪れる人も、殆んど気に留めなくなりました。私が上京して7年くらい後、父は山間部の開拓地区に家を建てて引越しました。とても景色のいい所でした。父はそれを借景にして、かねてから念願の、坪庭ならぬ庭園を造りました。その際、やはり祖母に対する想いと重なったのか、このモミジを捨て切れなかったのでしょう。そして、庭の一番奥に移植しました。その頃には、深紅のモミジの面影はなく、殆んど緑色に近い、普通のモミジの木のようになっていました。ちなみに祖母は、旧舟着場ちょうちん屋の美人三姉妹(?)の真ん中(末が長男)で、3人目の子供を産んだ後、産後の肥立ちが悪く、数え年29歳の若さで亡くなったということです(他の姉妹弟は皆、長生きしました)。父の祖母への想いは、いつも感じ取っていましたので、無理からぬ事と思いました。

 
 父の死後、一人暮らしになった母は、この雪深く交通が不便な山間部の開拓地区を嫌い、梨郷駅の側に家を建てて引越しました。そして玄関前に、ネコのひたい程の小さな庭を造りました。そこには、このモミジの木だけが移植されました。やはり、父の所へ嫁に来て以来、ずっと見続けてきたモミジの木に愛着があったのでしょう。父が応召された時、新婚の母が旧舟着場の家で、一人心細く父の帰りを待ち続けた事など、思い出したかも知れません。そして、色あせすっかり輝きを無くしたモミジの木を見上げながら、母はどう思ったのでしょうか。その母も、すでに他界し父のもとに行きました。モミジの木としては、もう老木になっていたのだろうか・・・。
                        (2011.1.1記載)




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