ヘッダーイメージ 本文へジャンプ

「駒込王子」

バックナンバー
本文


 エッセイ 「駒込王子」
■醤油より味噌
  昔、農村では、味噌は自家製でした。農家はもちろん、公務員などの勤め人でも、農家の実家近くに、多少の農地と共に分家するので、それぞれ狭い農地を持っていました。それは、大きめの家庭菜園という程度です。それ等の世話は、主人の休日や、主婦や子供達がするものでした。農村には、店が殆んど無かったからです。あっても、日用品の雑貨程度でした。ですから、各家庭には、大きな風呂桶(おけ)の様な味噌樽がありました。秋口になると、父が土手を掘って大きなカマドを作り、公民館から借りてきた大鍋と手回し式のミンチを作る機械みたいなモノを使って、ムシロの上で、一家総出の一日がかりでした。特に機械を手回しするのは、重労働で大変した。作業はもっぱら、母が主役でやっていました。冷蔵庫の無い時代ですから、塩分の濃い味噌です。普通は三年寝かせてから食べるのですが、我が家では樽が一つしかないので、程なく食べていました。古い味噌は、野菜などの味噌漬け用に回していました。味噌漬けが黒いのは、古くなった味噌を使うからです。私の子供の頃は、村営の醤油工場は、既に閉鎖になっていましたので、調味料としては味噌が多用されていました。弁当のオカズには、大抵、ナスの味噌漬けが入ったいました。紫蘇(しそ)の実や生姜、昆布の味噌漬けも美味しいですネ。

  私は今だに、味噌料理が大好きです。魚や肉の味噌漬けは、酒粕を混ぜて、自分で漬け込みます。売っているモノは値段が高いし、砂糖の甘みが強すぎるのです。豚ロース肉や、カジキ鮪・シャケ・鯖・ブリ・銀ダラ等の切り身を漬け込みます。ダシ入りでない、安い味噌で充分です。だいたい、「信州一味噌」を買っています.。本来なら、それを軽く水洗いしてから焼くのでしょうが、私は味噌の焦げたのも好きなので、味噌の付いたまま、焼き網かフライパンで焼きます。酒粕を混ぜた味噌床は、大きなタッパーに常備してあります。ナス等、野菜の味噌炒めも好きですし、大根おろしもトロロご飯も、味噌でやります。子供の頃、オニギリと言えば、焼いた味噌のオニギリでした。海苔のオニギリなんて、遠足の時のご馳走だった時代です。
                          (2020.2.1)


▲目次へ戻る

エッセイ 「駒込王子」
■名機、アサヒ・ペンタックスSP
 
私は小さいの頃から、カメラが欲しくてたまりませんでした。今から50年ほど前、旭光学という会社から、「アサヒ・ペンタックスSP」というフィルム・カメラが発売されました。当時としては画期的な、ペンタプリズム付きの一眼レフカメラで、TTL露出計を備えていました。ですから、カメラ初心者にも使いやすいカメラでした。武骨なニコン・キャノンに比べ、造形的にも洗練されたモノでした。ですから、売れに売れました。しかも、プロの秋山庄太郎さんなども推奨する、高品質のカメラでした。実際、ハードなプロ使用にも、耐え得るモノでした。私は新品には手が出ず、中古品を買いました。それでも、3万円程しました。そして、どこへ行くにも持ち歩く、自慢のカメラでした。他のメーカーもカメラ事業に参入しましたが、ペンタックスには叶いませんでした。やがて、自動露出機構が付いたカメラが発売されました。

  写真撮影に慣れると、どうしても逆光で撮りたくなります。その際、一部の暗い部分に露出を合わせ、画面を引いて広い景色(けしき)を撮影したりします。その際は、暗い部分にAEロックをかけると便利です。各社共、一斉にそれを採用しましたが、何故かペンタックスはそれを採用しませんでした。それでは、速写性の自動露出機構に意味がありません。露出補正には、一手間かかります。技術者達は、そんな事は重々承知していた筈です。しかし、ペンタックスの栄光にスガり、消費者を甘く見た経営陣達の責任は大きいと思います。重ねて思うに、ペンタックス・カメラはそれを契機に、衰退の一途を辿(たど)ったと思います。私は、MEスーパーを最後に、長年愛着にあったペンタックス・一眼レフ購入を諦めました。後続の「Aシリーズ」は、完全にアマチュア向けの、安っぽいカメラになっていました。
                          (2020.3.1)


▲目次へ戻る

 エッセイ 「駒込王子」
■ペンタックス・デジカメ
  先月、私はデジカメを買いました。ペンタックスの新中古品(?)のカメラです。実はデジカメを持ったのは、初めてではありません。10年以上前、コンビニの抽選に応募して、デジカメを当てた事があったのです。「フジ・ファインピックス」という右上のデジカメで、当時の新製品でした。これが使い勝手がよく、それ以来、一眼レフ・フィルムカメラを使う気がしなくなりました。私のホーム・ページの写真の殆んどは、このデジカメで撮ったモノです。そして、10年ほど多用していましたが、故障してしまいました。故障はカメラ本体か、ピクチャーカードの方か解りませんでしたが、ピクチャーカードが製造中止という事もあって、カメラ自体を買い替える事にしました。それが、下のペンタックス・デジカメです。フジ・ファインピックスより更に小さく、ジーンズの尻ポケットにもラクに入ります。それに、ペンタックスらしいシンプルな機能美です。市販の乾電池仕様のところも、何かと便利です。何時もこれを持ち歩いて、もう休日のカメラマン・スタイルは、一切止めにしました。

  ペンタックスの会社がダメになった時、有志社員による、伝統ある会社を残そうという動きがあった様です。ニコン・キャノンがまだダサいカメラだった頃、旭光学は、画期的なカメラを造り出した会社です。時計なら、セイコーに匹敵する会社です。海外の人件費も上がり、国内回帰を目指す会社が多い昨今、ぜひ、再起を図って欲しいと思います。もちろん、「アサヒ・ペンタックス」のロゴを冠してです。
                          (2020.4.1)


▲目次へ戻る

エッセイ 「駒込王子」
■マスク三昧
 
子供の頃から、マスクといえば、ガーゼのマスクでした。20年程前、治療院を開業してからも、もっぱらガーゼのマスクを使っていました。だいたい、コンビニで売っていた、花粉症対策用の2枚セットを買っていました。重ねて使う、ガーゼが付属していました。10年位前、やはりインフルエンザが流行った時、マスクが足りなくなり、当時厚生大臣だった舛添要一さんが、マスクを増産してくれました。それ以来、不織布のマスクが多くなりました。ガーゼのマスクと違い、薄くて心もとないです。どうもこれが使い勝手が悪くて好きではありません。頸椎の治療をする時など、患者さんの顔近くで話をする事が多いです。ですから、マスクは欠かせません。それで当時、マスクを箱買いしました。ところが、もう年数が経っているので、ゴム紐が劣化し伸びてしまったので、結び目を作り、短くして使っています。その舛添要一さんは、「年金特別便」など、良い事もやってくれたのに、その後の行ないが良くないために、誠に残念な人です。

  最近、マスクをしないと、気が引けて、スーパーにも入れません。ですから、いつもポケットにマスクを入れておいて、中に入る時にかける事にしています。早朝、ウォーキングをする時は、かけていません。深呼吸をしながらですが、すれ違う人も少ないので、大きく除けながら、歩いています。すると、使い捨てマスクを捨ててあるのが、目に付きます。濡れて汚れています。なんか、人の体を守ってくれたマスクが無残です。
                          (2020.5.1)


▲目次へ戻る

 エッセイ 「駒込王子」
■日教組の先生達
  今から半世紀以上も前の話になります。私が小学生の頃、大人たちの多くは、戦争体験者でした。同級生の中には、お父さんが戦死した子もいました。先生たちの多くは、「日教組」の組合員だったと思います。教室で折に触れて、先生たちが語られる事は、日本の軍隊が外国で、いかに悪事を働いたか、というものでした。子供達は、先生の言う事は説得力があり、絶対だと信じていました。村の大人たちは子供相手に、言い訳がましい事は一切言いませんでした。日々の生活に追われ、説得し切れる時間もなかったのでしょう。数少ない情報源の新聞も、反戦や再軍備反対、とういう記事ばかりでした。そんな情報が、戦後生まれの人達の心に刷り込まれて行きました。そんな子供達が大人になり中年になりして、社会のリーダーになるに連れて、「日本の戦争犯罪の常識」が固定化されて来たと思います。私も10年位前までは、そうでした。

  10年程前、ホームページを作るためにパソコンを買いました。そして、いろいろな情報に触れるようになりました。インターネットは清濁合わせ持つ情報に溢れています。それ等と接するうちに、判断力も磨かれて来たと思います。その結果、世論形成を目論むマスコミから脱し、情報を選別する様になりました。それにより、日本人が過去に、アジア諸国に悪事ばかり犯した訳ではないという事や、搾取のみの西洋の植民地政策と違い、日本の国家予算を持ち出してまで、現地のインフラ整備や学校を作り、現地の識字率に貢献した事などです。そして戦後、植民地の独立戦争に加担した、日本の敗残兵達の話等です。それらの国々の人達の中には、むしろ日本に感謝しているという事です。「日本の悪事」の口火を切ったのは中国や韓国政府ではなく、日本の朝日新聞だったという事も分かりました。

  安倍総理が「戦後レジュームを見直す・・・」と言った途端に、朝日新聞社が慌てて「誤報」を認めました。中国や韓国に多大な賠償金を支払わせ、幾度となく謝罪させ、韓国への修学旅行生達にも土下座させ、日本国民の尊厳を著しく傷付けたた訳ですから、重大な犯罪行為です。裁判を科し、一定期間でも、休刊させるべきだったと思います。このままでは、多くの国民が納得しないと思います。NHKも、報道専門の国営放送にすべきです。
                          (2020.6.1)

▲目次へ戻る

エッセイ 「駒込王子」No.46
■Thornbirds movie
 
先月、YouTubeにアクセスしていて、アメリカの、過去のテレビ・ドラマを見つけましたので、ご紹介します。「ルーツ」以来の大好評を博したという人気シリーズですが、日本では放映されませんでした。ですから、日本語の吹き替えも字幕もありません。しかし、高卒程度の英語力があれば解ると思います。少しくらい、知らない英単語があっても気にする事はありません。私達だって、全ての日本語を知っている訳ではありませんから・・・。映像からも、充分伝わって来ます。原作はオーストラリアの女流作家の手になる小説で、連続放映のほゞ全編です。過激なシーンはありません。しっとりしたラブ・ストーリーですので、きっと大人の女性の方に気に入って頂けると思います。

  物語の舞台は、二十世紀初頭のオーストラリア内陸部の、広大な「クリアリー牧場」とバラ園のある大邸宅、それに付随した教会やコミュニティ、及びバチカン、エーゲ海などです。テレビ放映は、40年程前です。当時の特徴として、主役の二人は当然の如く、白人の美男美女。全ての人がお洒落で、牧童さえも紳士的で礼儀正しい、いわゆる、古き良き時代です。物語は、クリアリー牧場の教会に赴任した若き神父(バチカン司祭)が、牧場オーナーの老未亡人に牧場経営を任(まか)されて、ニュージランドから引っ越して来た、彼女の親族一家と、駅で出会います。その時、一家の幼い末娘、メギーと神父は、運命的な出会いをします。メギーは神父に憧れ、夢中になります。神父はメギーに、伝説の鳥「ソーン・バード」の話をします。それが、このドラマのタイトルになっています。やがて、メギーは美しい女性に成長します。そして、庭のバラ園で、神父に愛を告白します。しかし、バチカンは神父の妻帯を認めていません。顔を間近に接して話しているうち、メギーの唇が神父の唇に触れます。神父は思わずメギーを抱き締めてしまいます。神父は詫びながら、走ってその場を立ち去ります。メギーはその時、互いの愛を確信します。

  その後、紆余曲折を経て、神父とメギーは地中海の保養地、ロードス島で再会します。数日間、互いをむさぼる様に愛し合った末、メギーは神父に理解を示し、涙で見送ります。実はその時、メギーの体には神父の子供が宿っていたのです。晩年、バチカンの枢機卿(すうきけい)まで昇り詰めた神父は、メギー唯一人に見守られ、思い出の、クリアリー家のバラ園で息を引き取ります。二人は、結婚こそ出来ませんでしたが、ある意味、愛を貫いた事になるのでしょう・・・。
                          (2020.7.1記)

▲目次へ戻る

 エッセイ 「駒込王子」No.47
■そば屋さんの不思議
  蕎麦屋さんの、鍋焼きうどんの値段が高過ぎます。それが、不思議でなりません。具材だって、たいして高価な物が入ってる訳でもありません。私は、蕎麦屋さんでは専ら、かつ丼を食べる事にしています。しかし、うどんは大好きですので、立ち食いうどん屋さんで食べます。そして、それ風のを自宅でも作ります。立ち食いうどんの時は、鯵フライと、ごぼうの天ぷらを乗せます。山盛り具沢山で、蕎麦屋さんの鍋焼きうどんより、数倍も美味しいです。現在はそれを、昼食時に自宅で作ります。スーパーで、三玉100円の生うどんと、鰺フライ等の天ぷらと、・葱などを買ってきて、保存してある納豆ダレ1個とサラサラの海水塩と、七味等を使います。天ぷらは、鯵の他は穴子の時もありますし、コロッケやカボチャの天ぷらでもイケます。それを電子レンジのオーブン機能にかけると、衣がサクサクで、とても美味しくなります。雨天などで、外に出たくない時は、常備の鯖の水煮缶でも結構イケます。合計、150円位ですが、やはり具沢山で、とても美味しいです。蕎麦屋さんで、高いカネを出してまで、鍋焼きうどんを食べる人の気が知れません。

  ちなみに葱は、白い所しか食べられない深谷葱は避けて、青葱を買う事にしています。白い葱より、青い部分が軟らかい葱の方が好きなんです。山形の「曲がり葱」がそうでした。うどんは、日によって、豚バラ肉を入れて、焼きうどんの時もあります。いずれにしても、三玉100円の生うどんは何時も買い置きしています。かつ丼も寿司も最近は、銀行などに出たついでに、スーパーのを買って食べています。それというのも、他の客が吸うタバコの煙ががイヤだからです。
                         (2020.8.1記)


▲目次へ戻る

エッセイ 「駒込王子」No.48
■火垂るの墓(ほたるのはか)
 
10年程前まで、毎年お盆の時期になると、テレビで「火垂るの墓」というアニメが放映されていました。実写版の時もありました。原作は、野坂昭如さんの直木賞受賞作品で、同名の小説です。野坂さんの体験に基づくという、とても悲しい物語でした。今年はもう見るのは止そうと思い乍ら、ついつい見てしまって、その後数日間は、気分的に落ち込んでいました。その後ネットなどで、その内容にウソがあったという事が判明してから、皆シラけてしまったのでしょう。放映されなくなりました。テレビ映像では、子供二人の兄妹が、戦時下で必死で生きて力尽き、妹が先に亡くなり、それをお兄ちゃんが山中で荼毘(だび)に付した後、お兄ちゃんも駅の雑踏の片隅に、放置されて亡くなってしまいます。そして、妹の遺品として、お兄ちゃんが大切に持っていた、「サクマ・ドロップ」の空き缶からこぼれ落ちたモノは、妹の小さな指の骨、一片だけでした。本当に悲し過ぎます。しかし、ネットなどによると、実態はかなり違っていた様です。本当は、野坂少年は幼い妹を虐待し、餓死させたという話です。

  都会の空襲で焼け出された兄妹は、その時母親を亡くし、田舎に疎開して親戚の家に預けられました。その家族達は勤労動員などで忙しいので、お兄ちゃんが妹さんの面倒を見ていました。育ち盛りのお兄ちゃん(野坂少年)は、妹さんの食事の分まで食べちゃったのです。時には、泣き止まない幼い妹さんの頭を殴り付け、失神させた事もあったといいます。空腹を抱えた妹さんは見る見る衰弱し、気が付けば亡くなっていました。虐待を受け乍らも、お兄ちゃんしか頼れる人がいなかった、妹さんの気持ちは、さぞかし切なかったろうと思います。そして時には、妹さんのママゴトに付き合う事もあったかも知れません。野坂さんは生涯、その事を気にかけていた様です。小説「火垂るの墓」は、そのショク罪の意味で書いたと言われました。直木賞受賞は、自分を世話してくれたお兄ちゃんに対する、妹さんからのたった一つの「贈り物」だったかも知れません。思えば野坂さんという人は、若い頃はいつも濃いサングラスをかけた、カゲのある人に見えました。

  野坂さんは亡くなるとすぐに、天国の妹さんに会いに行ったと思います。そこには、無数のホタルに照らし出された妹さんが佇(たたず)んでいたでしょう。お人形さんを小脇に、防空頭巾やモンペなど、身に着けたまんまだったかも知れません。そして、懐かしさのあまり、お兄ちゃんに駆け寄って来たかも知れません。野坂さんは、まだ小さいまんまの妹さんをオンブして、いつまでも辺りを、歩き回っていたに違いありません。「ごめんね、ごめんね」とツブヤキながら・・・。そして妹さんは、すっかり年取ってしまったお兄ちゃんの背中に揺られ乍ら、安んじて寝入っていたかも知れませんネ。
                          (2020.9.1記)


▲目次へ戻る

 エッセイ 「駒込王子」No.49
■今年のブドウ
  郷里・山形、隣村の母の実家は、大きな農家でした。その殆んどが田んぼでしたが、広いブドウ園もありました。そしてその辺りで、最初にブドウ栽培を手掛けた農家でもありました。当然、親戚にもブドウ栽培が広がっていきました。私の村の父方の親戚、大伯母の家でブドウ栽培を始めた時も、母の実家の指導を受けていました。子供の頃は、母の実家に遊びに行っては、よくブドウを食べていました。その殆んどが「小姫」で、「巨砲」も種無しブドウもまだ、ありませんでした。近くの山には、「山ブドウ」も自生していました。最上川の湿気もあり、地形的にも栽培に適していたのでしょう。ブドウと言うと山梨が有名ですが、山梨と山形は、気候風土ばかりでなく、様々な面で良く似ています。寒暖の差が激しく、何かと「印象の薄い県」という面でもソックリです。上京してからは、マスカットや巨砲が好きでよく店頭で買って食べていました。父は時々、山ブドウを採って来ては、ブドウ酒を造っていました。田舎では、洞窟の岩の窪みに「猿が造ったブドウ酒」等と、真しやかに語られていました。それが、とても美味しいのだそうです。

  日本には、山ブドウが自生していましたが、とても酸っぱいモノでした。それを品種改良したという話は聞きません。ですから、現在栽培されているブドウは、元々は外来種由来だと思います。だいたい、ブドウを果物として食べているのは、日本位のものです。ですから、ブドウ品種の多くは、日本で作られたものでしょう。外国のブドウ栽培の殆んどは、古来からのワイン醸造用です。ヨーロッパでは、ワインは信仰と深く結びついており、宣教師達によって、日本にもたらされたモノでしょう。洋風好きの信長公も、宣教師や堺の商人達と、ワインを飲んでいたかも知れませんネ。ところで、今年も山形の親戚からブドウが送られて来ましたが、今年の七月は冷夏で日照時間が少なかったせいで、ブドウはちっとも甘くありませんでした。しかし、八月は猛暑日が多かったので、柿は甘くなったと思います。今年の干し柿が楽しみです。
                         (2020.10.1記)


▲目次へ戻る

エッセイ 「駒込王子」
■電子マネーやクレジットカードなど
 
私はクレジットカードや電子マナーの類は一切、使っていません。インターネットでよく買い物をしますが、ネットバンキングも使っていません。スーパーで買い物をする時、ポイントが付いてお得だからと、電子マネーを勧められますが、断っています。スーパーでの買い物は、食品やお惣菜で、私は独り者なので一回分、千円足らずで充分事足ります。ですから、千円札一枚を小銭入れに補充してスーパーに行きます。小銭入れの金額を超えて買い物をすることはありません。それ以上のお金はないのですから、無駄な買い物をしなくて済みます。インターネットで買い物をする時、やたらとネットバンキング加入の誘いがあります。私はそれらを信用していません。ネットバンキングなど、個人情報漏れが取り沙汰されています。それらの会社は、事務処理やメンテナンスを下請けの会社に出すのです。経費節減のためでしょう。そこに勤める薄給の契約社員などによって、情報漏れが起きるのです。それで、勝手にお金を引き出されたりと・・・。ですから、始めから信用していないのです。少しだけのメリットに対し、高額リスクの問題です。

  私は普段出歩く時、カバンを持ち歩きません。ケイタイやスマホすら、持っていません。殆んど23区内ですから、自転車で出かけます。収納は、ジャンパーとジーンズのポケットだけです。ですから、小銭入れしか持ち歩きません。衝動買いもしませんし、下戸なので酒を飲みに出かける事もありません。せいぜい、自動販売機の缶コーヒーでも買えれば充分なのです。洋服や靴など、値の張る物を買いに出かける時は、背広の内ポケットに封筒に札を入れて出かけます。ですから余計、クレジットカードも電子マネーも要らない訳です。
                         (2020.11.1記)


▲目次へ戻る

 エッセイ 「駒込王子」
■宮沢賢治の世界
  賢治はダンナシの子供なので、村の子供たちと一緒に遊ぶ事は無かったかも知れません。昔は、子供達の世界でもそういうモノでした。ダンナシ(旦那衆)とは、超裕福な家庭という意味です。小作の子らと違って、彼らは学校から帰ると、しっかり勉強しました。ですから、資質もさる事ながら成績も良く、都会の大学や女学校に進学して行きました。賢治は、二歳下の妹・トシと仲が良く、共に森の中を「冒険」して歩いたでしょう。二人はダンナシの子ですから、身ぎれいな服装をしていたと思います。賢治は「
又三郎」の様に学生服に帽子と半ズボン姿、トシはビロードの赤い洋服を着ていたでしょうか・・・?足元はワラ草履でなく、小ざっぱりした靴を履いて。そして、森の妖精や動物たちの営む、お店やレストランに訪れては、楽しげに過ごしていたでしょう。客は、賢治とトシの二人だけです。宮沢賢治の童話は、賢治とトシの世界観から生まれたモノでしょう。心優しい兄と、それに何時も付き合う妹、何だか心が温まります。

  父親は、賢治を農学校に進学させましたが、トシには、名門・日本女子大学に入学させました。農学校だって、大地主の子弟が行く学校でした。農政学や土地改良など、学問として農業を学ぶ所です。現・岩手大学農学部でしょう。トシは病弱で、出席日数が充分ではなかったにも係わらず、常に首席の成績でした。正に、才色兼備の女性です。家には、トシが弾くピアノの音色が聞こえていたかも知れません。そんなトシは、若くして結核で亡くなってしまいます。賢治は葬儀の席上、誰はばかる事なく号泣したそうです。賢治にとって、トシはある意味、理想の女性でした。そのせいか、賢治は生涯、独身でした。そして、賢治も又、若くして亡くなりました。賢治とトシの魂は、深いエニシで結ばれていた様な気がします。あなたがもし、銀河鉄道ならぬ、岩手三陸鉄道に旅したら、賢治とトシと思しき(おぼしき)、少年少女を見かけるかも知れません。二人はきっと、今も旅しているかも知れませんネ。
                         (2020.12.1記)


▲目次へ戻る

エッセイ 「駒込王子」
■ふるさと・梨郷村の狐狸妖怪達
 
約半世紀以上前のふるさと・梨郷村には、狐狸妖怪の類が住んでいました。少なくても皆、そう信じて生活していました。子供も大人もです。梨郷村は殆んど全村が農家でした。人々は、早朝から働くので、夜・八時には寝ていました。ですから、夜の八時には辺りの電灯は全て、消えていました。昔は電力不足のせいもあって、昼・夜共、停電がよくありました。子供たちは、明るいうちに宿題を全て済ませていました。月や星の出ていない夜は、押し入れの中と同じ位、真っ暗闇でした。それに、農業というのは天候に左右されます。「雨乞い」等と、最期は神頼みという事で、どうしても信心深くなります。毎朝、神棚にお茶とご飯を供え、家内安全と豊作祈願をしていました。そんな訳で、迷信も真実の如く受け止められていました。大人でもそうですから、子供に到ってはなお更の事です。狐に化かされたという話は良く聞かされました。だいたい、酔っぱらったオジサンが化かされたという話が多かったです。お風呂だと思って、池に漬かっていた・・・等というハナシです。

  夜道を一人で歩いていると、後ろから誰かが付いて来る足音がします。振り向いても、真っ暗で何も見えません。こっちが走ると、どこまでも付いて来ます。家に着くと、ようやくその足音から解放されて、ホッとしました。昼間は停電が多く、電灯もラジオもはつけていませんでした。放送はやっていても、業界向けの「株式市況」とか、気圧や風力等の「気象概況」が主でした。大人達は日中、畑仕事に忙しいので、子供達だけで留守番する事も多く、お年寄りのいない家ではなおの事です。一人で勉強しながら留守番をする時など、シーンと静かな中に、かすかな物音がするのです。隣の部屋と境の障子に、影が写ります。行ってみると、誰もいません。感受性の強い子供の時にしか見えない妖怪が、実はいるのです。昔はアルミサッシではなかったので、風が吹き込み、カタカタ・ヒューヒュー鳴りました。それが、人のササヤキにも聞こえます。寒い冬は、梁等の木材が乾燥収縮して「ピキーン」と、割れる音がします。そんな時、何かの気配を感じます。私は大声で国語の本を読んだり、歌を歌ったりしていました。

  座敷わらし伝説に就いては、昔の「間引き」という、悲しい風習に起因していたと言われます。昔は乳幼児の死亡率が高かったせいか、子供を沢山生みました。母の兄弟は、9人いました。その殆んどが女でした。ですから、順送りに下の子の子守りをしたといいます。後年、子宮を取り去る手術が流行った程です。それ以前は、間引きした赤ん坊を台所の床下に埋めたそうです。せめて自分の側において置きたいという母心だったかも知れません。座敷わらしに女の子が多いのは、農家の働き手としては、女性は半人前だったからでしょう。それに、跡継ぎの男の子でないせいもあったでしょう。いつもは母親の足音を聞きながら、床下で眠っていても、部屋に子供の気配を感じると、「ワタシも一緒に遊びたいな・・・」と、現れるのだとか。その子にとって、ちゃんとした葬式も上げて貰えなかったので、亡くなっているという実感が無かったのかも知れません。ですから、どこの世界でも大切に葬式をして、亡くなった人を天国に見送りするのでしょう。再び、人として生まれ変わって欲しいという想いからです。
                         (2021.1.1記)


▲目次へ戻る

 エッセイ 「駒込王子」
■魚の切り身をマトメ買い
  最近、近所のスーパーで魚の切り身をマトメ買いしています。毎週木曜日になると、一切れ100円の切り身が沢山売りに出されます。品目は、ブリのタレ漬けや鮭の甘塩や塩麹漬けや塩鯖、サンマやホッケの開きなど、週によって様々です。私は、それを一週間分の七切れ買って、半分を保存のために冷凍して置きます。そして、夕食時にフィッシュ・ロースターで焼いて食べます。ブリのタレ漬けを焼けば、ブリの照り焼きになります。それを近所の焼き魚専門店で買えば、一切れ500円位はします。塩分少な目で美味しいです。夕食のオカズとしては、他にほうれん草のゴマ合えや、みそ汁程度です。3年程前、18坪の広い事務所から狭いアパートに引っ越してから太りましたので、ダイエットになって調度いいです。だいたい食事量としては腹六分目くらいですが、時々思いっきり、ご飯を食べたい衝動に駆られます。

  そのスーパーは、他の魚やお惣菜は、値段が高いので、あまり買いません。他の買い物は、もっぱら「マルエツ」の方です。スーパー「マルエツ」は駒込駅・東口近くにあり、少し遠いのですが、値段が安く種類も多いので、よく利用します。朝、7時から開いていて、早朝ウォーキングで体が温まった後に、自転車で行きます。           
                          (2021.4.1記)


▲目次へ戻る

エッセイ 「駒込王子」
■テレビを捨てて4年あまり・・・
 
私は4年前、現在のアパートに引っ越した時、テレビを捨てました。実は、それ以前からテレビはあまり見ていませんでした。パソコンを買ってからは、ニュースは専らヤフー・ニュースを見ていました。ヤフー・ニュースは、同じ内容の繰り返しで、好きな時に見られます。天気予報も、ウェザー・ニュースで何時でも見られます。元々は、NHKの教養番組等が好きで、よく見ていましたが、その番組を見るためには、その時間に待機していなければなりません。インターネットのユー・チューブですと、何時でも好きな時に手軽に見られます。ですから、ユー・チューブが充実するに従って、テレビをあまり見なくなっていました。それと、近年はユー・チューブの画質が良くなった事が挙げられます。そんなこんなで、いつしかテレビをつける機会は減っていました。テレビで最も嫌いな所は、お笑いタレントによるバライティ番組が多い事です。民放は、殆んどそれです。ただヒマを潰すだけの番組で、何の印象も残りません。

 只今、ユー・チューブの某・猫チャンネルにハマっています。毎日、ついつい見てしまいます。特に、子供や猫の話す声が可愛い。農村ではネズミの駆除対策として、何処の家でも猫クグリを付けて、家猫を飼っていました。雪国の冬の室温は、夜間0度以下でした。雪国の野良猫は、冬を越せません。家猫は暖を求めて、子供の蒲団にモグリ込んで来ました。子供は朝まで熟睡するので、邪魔にされず安心なのです。お陰で、野良猫の命が一年位なのに比べ、飼い猫は十年以上生きます。猫は、自分の死期を悟ると、黙って家を出て行きました。人々は家畜の動物達には、努めて感情移入しないように生活していました。余分な子猫は川に捨てられるなど、残酷な現実もあるからです。しかし、どうしても毎日接している動物達に愛着を持ってしまう(特に小動物の世話は子供達が担当していましたから・・・)。川に捨てるというのは、その先の海の果てには、極楽浄土があるという、せめてもの心遣いです。
                         (2021.7.1記)
「駒込王子BN・目次へ」

▲目次へ戻る

トップページカイロプラクティックって何?適応症・料金・営業日時他行き方・地図
★腰痛・ヘルニア
五十肩・膝痛頭痛・肩こり☆抑うつ症状・自律神経失調・不眠
梨郷村BN

                      
  
     Copyright (C) 2008 Komagome Chiropractic Center. All Rights Reserved.
   駒込カイロプラクティックセンター/東京都文京区本駒込5-50-3三春荘206 TEL-5834-8686
   ※当ホームページ著作権は全頁、駒込カイロプラクティックセンターにあり、無断の転記・転載を禁じます。
フッターイメージ